夏休み



「だーれだ」
 目隠しをしてくる手のひらは熱くて小さかった。
 同じことをされた、昨日を思い出す。あの手は夏なのに不思議とひんやりとして、もっと大きかった。 違う手だ。これは、俺の知っている手ではない。
 今日、テニスを口実に(今思うと口実だったのだろう)俺を呼び出した男を思うと、これが誰の手だかは想像がつくし、彼女には感謝している。イップスに陥った俺が立ち直れたのは、彼女のおかげだった。
 それなのに眉間に皺が寄った。目隠しが不愉快なのではない。他人の手に触れられたくないと思うほど神経質でもない。ただ、それがあいつの手でないと意識した瞬間、昨日の会話を思い出してしまったのだ。
「ごめん。明日は用事があって。向日葵を見に行くんだ」
  明日も会えないかと誘ったら、幼馴染に呼ばれて弟と一緒に千葉に花を見に行くと、あいつは言ったのだった。



 眼下に広がる向日葵畑に息をのんだ。
 幻想的でエネルギッシュ。なんて美しいんだろう。
「よかった。気に入ると思ったんだ」
 すごくきれいだと伝えたら、幼馴染が微笑んだ。 僕の好きも苦手もなんでも知ってる彼だから、絶対僕が喜ぶとわかっていて誘ってくれたんだろう。 今は……彼の知らない好きもあるけれど。
「なあなあ。もういいだろ。テニスしようぜ」
 一緒に見に来た弟は、もう飽きたらしい。僕はまだ何時間でもこの景色を眺めていられるけれど、弟は花より団子、いや、花よりテニスなのだ。 幼馴染は確認するように僕を見て「そうだね。行こうか」と弟の提案を受け入れた。
 正直に言えば名残惜しい。けれど、美しい花はまた見に行けばいい。今度は別の人と… 。
 手の中のスマホが震えてる。昨日断ったデートの代わりに、お花見に誘おうか。彼と行くなら何の花を見るのがいいだろう。 ……でも彼も花よりテニスな気がするな。
 一人で面白くなって、つい笑ったら、幼馴染が首を傾げた。
「どうしたの?」
「ううん。ごめん、電話出ていい?」



「もしもし」
 なぜか少し笑っているような、明るい声が届いた。
 俺の気も知らずに、幼馴染と楽しく過ごしているのだと思うと、もやもやとした気持ちが膨れる。だがいけない。ここで腹を立てるような幼い振る舞いは中学三年生にもなってするべきではない。そんなに器の小さい男だと思われたくない。あいつが楽しんでいるのなら、まずはその話を聞いてやらなければ。
「向日葵の様子はどうだ?」
 するとあいつは電話の向こうで、プッと吹きだした。
「あっはっは。どうって向日葵がどうって。うん、うん、きれいだよ。すごく。ふふふ」
 何がおかしいのか。失礼にもほどがないだろうか。
 カチンとくると同時に、楽しそうでよかったとも思う。あいつの笑い声は、耳に心地いい。ほかの誰かと過ごしていることに不満はあるが、楽しく過ごせているのなら、何よりだ。



「もしもし」
 通話ボタンを押して話しかけたら、不機嫌なため息のような声で名前を呼ばれた。
 今日会えないって言ったこと、まだ怒ってるのかな。昨日は一緒に夏休みの宿題の残りを片付けたし、テニスだってしたのに、毎日会わなくたっていいと思うんだけど。
 文句を覚悟してたら、予想外の質問が届いた。
「向日葵の様子はどうだ?」
 向日葵の様子って何? 元気にしてたよとかそういうこと?
 もうダメだった。もうほんと、彼は面白すぎる。我慢できずに笑ってしまって、もっと怒らせちゃうかなって思いながら返事をした。そうしたら。
「そうか。何よりだ」
 だって。その言葉のチョイスが、ほんとおかしい。絶対中学生じゃない。もうほんと大好き。
「君は何してるの?」
 特に何もしていないと言う向こうで、誰かの声がする。独特のイントネーション。準決勝で彼と試合をした他校の選手と、もう一人、女の子?
 これは事件だ。浮気なら追求しなきゃ。ふふふ。
「ねえ。明日は忙しい? そろそろ萩の花が咲きはじめてると思うんだけど」
「わかった。集合時間と場所を決めて連絡をくれ」
 事務的な返事が届いて、通話が切れた。でも気づいてるよ。声が少し明るくなったこと。彼が僕と会えることをとても楽しみにしてくれてるってこと。
 そんな声が愛しくて。 誰にも秘密の「好き」が心のなかで膨らんでいく。視界を埋め尽くす向日葵の花みたいに、胸がいっぱいになった。







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